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長い間、日本の近代文学の主流は私小説であり、作家の私生活を描き、人生をいかに生きるべきかを追求する有様を読者に提供することが主な目的とされてきた。その雰囲気は陰鬱であり、陰鬱であることこそが芸術であるという考えかたが一般的であった。そのため、谷崎の作品はしばしば「思想がない」として低い評価がなされてきた。しかし私小説中心の文学観から離れたとき、谷崎の小説世界の豊潤さに高い評価が与えられてもいる。
『文章読本』でみずから主張するような「含蓄」のある文体で、いわゆる日本的な美、性や官能を耽美的に描いた。情緒的で豊潤でありつつ高い論理性を誇るその文体は、魅力的な日本語の文章が至りうるひとつの極致である。しかし、逆に志賀直哉的な簡潔な表現を好む読手からは評価が低い。また強く魅力的な女性登場人物とそれに対するマゾヒスティックな主人公の思慕がしばしば作品に登場することから、谷崎とかれの作品は女性礼讃やフェミニズムの観点から論じられることが多いが、これらは谷崎の性愛と肉体に対する興味から発するものであると見るのが一般である。谷崎の諸作品にはしばしば谷崎の脚に対するフェティシズム(脚フェチ)が表れている。また、「家畜人ヤプー」の作者(異説あり)天野哲夫は、谷崎文学はマゾヒズム抜きでは語り得ないと指摘。結婚前の松子夫人にあてた書簡などにもご主人様と下僕の関係として扱って欲しいなどの特異な文面が多く見られる。
関東大震災以前の谷崎の作風は、モダンかつ大衆的であることが知られているが、谷崎自身はそのことを後悔していたらしく、震災以前の作品は「自分の作品として認めたくないものが多い」と言った。そのために震災以前と以後の作品を文学史でも明確に分け、以前の作品を以後の作品に比して低い評価をすることが通例となっていた。しかし近年、物語小説の復活の機運と、千葉俊二、細江光らにより震災以前の作品への再評価がなされている。また後期にあっても、『猫と庄造と二人のをんな』『台所太平記』のように大正期的な雰囲気をうけついだ作品を谷崎自身が書きついでいることを見ても、作者の低評価については今すこし判断を保留すべき部分がある。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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